建築日記第1話「やっぱりおうちたてようかな」はコチラから!

満月の下で亡き父の事を想う

どうも!八郎です!!
(Twitter:@eightblog_hachi)
(ガーデニングや家庭菜園
家の事などくだらないことを
たまーにつぶやいていますので
よかったらブログ共々
ご笑覧下さいませ)

                  

暫くブログ更新していないと思ってたら
いきなりポエムみたいな題名が現れて
八郎、ついに壊れたか!?
なーんて思われた読者さまもいたかもしれませんが
確かに私は今、壊れているかもしれません(笑)

      

2022年9月10日(土)は
例年よりちょっぴり早い「中秋の名月」でした。
そして、それとは全く関係ないんですが
2022年9月4日(日)22時31分
私の父がこの世を去りました。
76歳でした。

       

今回は壮大なひとり言になりますが
2022年の中秋の名月を眺めながら
亡き父の事について思ったことを
このブログに綴りたいと思います。
かっちょよく言えば「忘備録」
ダサく言えば、個人の亡父の感傷を世に発信する形です。

      

家ブログとは全く関係ありませんが
お付き合いいただければ幸いです。

子どもの事をあまり褒めなかった父

子どもの頃、父が何を思いながら
我々に接していたのかは
当然知る由も無いんですが。

      

成人し、運命の人と出会い結婚し
そして子どもを授かる事が出来た今
父親の偉大さやその時の気持ちを
たまにはほんの少し
たまには絶大に感じることが出来るようになりました。

        

自分が我が子の父になって
「オヤジすげー」
と思う事もあれば
「うーん、オヤジの事が今でもわからん。。。」
と思う事もあります。
あ、父って言いづらいのでこれから
自分の父の事は「オヤジ」で統一します。

       

その「今でもわからん。。。」
という部分は、オヤジは俺の事をほぼ褒めなかったことです。
今の子どもの教育は「褒めて伸ばす」なんて言われていますが
昭和22年生まれのオヤジはそれを「真逆で行った」感じです。

          

これって親としてどうなんだろう?
と思ったりするわけなんです(笑)
恐らく褒められたことは片手で足りる程度しかありません。

      

ほぼ褒めることも無く育てるなんて
子どもがひねくれるんじゃないのか
なんて思ったりする訳で
実際育った私はなかなかの天の邪鬼なひねくれ者です(笑)

    

でもそんな私の事をなかなか褒めてくれなかったオヤジの事を
嫌いにならなかったのは他ならぬオフクロの存在があったからです。
その話は後述します。

口数は多くないが優しかった父

私は幼少のころ、ペルテス病と言う
足の股関節の病気を患っていました。
幼時から小学校低学年に多い病気で
300人に1人の割合でかかるそうです。
小学校1校にひとりくらいいるんじゃない?
という確率の感じの病気です。

        

状態が良くなるまでこんな感じの装具を付けないといけなくて
私は幼稚園の年長から小学校低学年でこんな装具を付けて
登校(登園)していたんですが、なかなか歩くのもひと苦労
と言う感じでした。

         

そんな私を父は口数こそ少なかったものの
しっかり見守ってくれていました。
雨の日は父の出勤前に必ず車で学校まで送ってくれました。
これは自分がこの装具を外すまで1日たりともも欠かすことなく
何も言わずに送ってくれました。

      

また、この装具は悪い方の足に
体重がいっさいかからないようにするための装具なんですが
子どもの体重とはいえ、良い方の足と装具でシェアするため
装具にかかる負担はかなりの物でした。
メンテナンスを怠ると、ネジが緩んで外れたりして
歩行中にネジが外れるととんでもない事になることが多かったです。

      

しかし、ある日から私が寝た後
父が装具のメンテナンスをしてくれていたことを
母から教わりました。
ネジのゆるみが無いか?
可動域はスムーズに稼働するか?
週に2回ほど点検してくれていたようで
装具の装着初期に合った
歩行中にいきなりネジが外れて大変な事になるトラブルも減りました。
装具の可動域はオイルを挿してくれて
当初は可動域がスムーズに動かなくて苦労しましたが
オヤジがメンテナンスをしてくれるようになってからは
そんなトラブルも無くなりました。

       

装具の使い勝手が良くなったのは
実はオヤジのおかげであった事は
自分がペルテス病が良くなってから知ることになります。

将棋を教えてくれた父

私が患ったペルテス病は運動が絶対に禁止でした。
遊びたい盛り・動きたい盛りの年代に
運動を禁止されたことは、精神的にとてもストレスでした。
遠足にも参加できなくて、メソメソ泣いて
親を困らせたこともありました。

      

そんな私に、父は「将棋」を教えてくれました。
(ここからは先は将棋を知らない人はつまらないかもしれませんが、お付き合いください)
駒の動かし方を教えてもらった後
まずは超ハンデ戦から将棋のレクチャーがスタートします。
私の陣地には全部の駒が盤上に並んでいますが
父方の陣地の駒は丸裸の王将1枚に「歩」という
前にひとマスしか進めない駒を3枚持ち駒として持っている状態で
対戦がスタートするのです。

だれがどう見ても、私が断然有利に見えたはず。
全ての駒が並んでいる私に比べて
丸裸の王将に持ち駒は歩が3枚だけの父。
但し、その超絶がハンデがあるため
父が先手(父が先に駒を動かすことを始める事)という条件で
始めるんですが、これがオヤジに全然勝てない(笑)
ウソだと思われるかもしれませんが本当に勝てない(笑)
当時私は小学校1年生だったとはいえ
そこからオヤジに勝つのに1週間以上を要しました。

        

その場面の極意は
「攻めだけでなく『受け(自分の陣地を守る事)』が肝心」
でした。攻め急ぐ事も場合によっては必要ですが
自分の王様に直ちに危機が及ばない場合は
しっかり守って相手が攻める手段を消してしまうのも
将棋には重要であることを教わるのであります。

将棋の楽しさに触れ、一時はプロを目指すも。。。

その後、オヤジは私に2冊の将棋の本を買ってくれました。
1冊は「将棋の基本」1冊は「詰め将棋100問」でした。
「将棋の基本は」初歩的なルールから基本的な戦法(定石)や
将棋の格言などが書かれており、本当に「基本」が網羅されていました。
詰め将棋100問は、3手詰めから15手詰めまでの詰め将棋が
100問掲載されており、父がいないときは
この2冊がオヤジの代わりに将棋を教えてくれました。

       

そして父が仕事から帰ると帰りが遅い時を除いて
ほぼ毎日3局、将棋を指しました。
父もその辺は心得ていて、3局中1局から2局は
最初わざと負けてくれていました。
それに気が付くのはずいぶん後ですが(笑)
そして将棋を始めて1年が過ぎた小2あたりから
オヤジと平手(ハンデなしで将棋を指す事)でやっても
本当に勝ち負けが出来るようになり
小3では滅多な事ではオヤジに負けなくなりました。

     

すると今度はオヤジは街の将棋クラブに
私を連れていくようになりました。
そこは席料を払えば1日クラブで好きなだけ
知らない人と将棋が指せる天国のような場所です(笑)
昔はオンラインなんて当然なかったので
こういう街の将棋クラブや道場で
見ず知らずの人と将棋を指して切磋琢磨するのが普通でした。

      

こうして知らない大人の人とも将棋を重ね
段々勝つ回数の方が増えてくると
何となく、自分は「将棋でメシを食えるんじゃないか」
NHKの将棋トーナメントに10年後くらいは
参加してテレビに映っちゃってるんじゃないか
なんて、勘違いを始めるようになります。

       

勘違いがピークに達したのは小4の時、とある将棋大会に応募したところ
全国大会で東京まで行ってしまったときの事です。
この時が私の天狗絶頂期でした(笑)
もう鼻が15メートルくらい伸びに伸びていたと思います。
まあ、同年代ならそうそう負けない自信があったんですよね。
そりゃそうでしょう。見知らぬオジサンとやっても
いい勝負なくらいまで行くようになっていたので。
華麗なる勘違いをしてしまっていたんですよね。

      

しかし、全国大会で私のピノキオのように伸びた鼻は
同年代の少年たちに見事に叩き折られます。
予選・敗者復活戦ともに1回も勝てずに
大会を後にすることに(笑)
井の中の蛙大海を知らずを小4にして
痛感させられたわけです。

        

この後、世のファミコンの台頭や
小5からの運動制限からの解禁。
そして何より将棋の全国大会で
鼻っ柱をへし折られてからと言うものの
私の心も折れてしまい、それから
将棋を指すことはほぼ無くなりました。

       

しかし、父があの時将棋を教えてくれたから
運動が出来なくてふさぎ込みがちだった
自分から脱却できたんじゃないかって
今でも思っています。
ここぞというときの一発の集中力も
将棋で培ったものではないかと勝手に思っております。

         

オヤジが引き合わせてくれた将棋と言う存在が
自分をペルテス病の苦しみから救ってくれて
今の自分を形成する大きな要素になったんじゃないか
と今でもそう思い込んでいます。

       

逆に将棋をオヤジが知らなくて
俺に将棋を教えてくれていなかったら。。。
と考えるとぞっとしてしまいます。

父を嫌いにならなかったのは母のおかげ

ちょっと話を戻しますが、どれだけ頑張っても
なかなか私を褒めてくれないオヤジの事を
嫌いにならず、むしろ尊敬できたのは
他ならぬ「母」つまりはオフクロの存在があったからだと思います。

         

オフクロはどんなことがあっても
オヤジの事を悪く言う事はありませんでした。
むしろ
「お父さんがお仕事頑張ってくれているから御飯が食べられるんだよ」
「お父さんがいるからみんな幸せに暮らしていけているんだよ」
とオフクロは私や妹に説いていました。
だから全然オヤジが私の事を褒めてくれなくても
私はオヤジの事を好きでいられたんじゃないかと思います。

      

もしオフクロが「お父さん褒めてくれないなんて冷たいね」
なんて私に話していたら、私のオヤジ像は
全然違ったものになっていた可能性が高いと思います。

       

という事で、私はオヤジの事も誇りに思っていますが
オヤジの事をいっさい悪く言う事が無かったオフクロの事も
本当に誇りに思っています。

       

もし今子育てをしているあなた
もしくはこれから子育てをするかもしれないあなた。
パートナーの事は悪く言わないようにしましょうね。
子どもは親の言う事を120%真に受けます。
パートナーの事をどう思わせるかは
あなたのひと言にかかっていると言っても
過言ではないと思う今日この頃です。
(次回へ続く)

       

やっぱり1日じゃ終わりませんでしたね。
文字数も4000字オーバーになったので
ここでいったん切りたいと思います。
明日は、私が抱いている「親への後悔」について。
もしこれを読まれている皆様の
ご両親がご存命なら
是非、後悔をしてほしくないので
次回の記事も読んでもらいたいです。

         

次回「オヤジと酒を飲みたかったけど時すでに遅しだった」

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