どうも!八郎です!!
(Twitter:@eightblog_hachi)
(ガーデニングや家庭菜園
家の事などくだらないことを
たまーにつぶやいていますので
よかったらブログ共々
ご笑覧下さいませ)
あれ、ここ、家ブログじゃなかった?
とお思いの方も多いと思います。
家ブログを期待してこられた方
本当に申し訳ございません。
壮大なひとり言で恐縮ですが
父が9月4日に他界したので
亡き父への想いを世に発信しております。
もし、興味がありましたら
お付き合いの程よろしくお願いいたします。
ちなみに前回の記事はコチラから。
さて、今回は後悔先に立たずの典型的な話をさせてください。
わかっていたのにそれをしなかった自分の後悔はとても大きいです。
もし、このブログを読んでいただけている皆さまが
私と同じ後悔をしないでもらえれば
とても嬉しいです。
それでは、続きをどうぞ!!
自分の稼いだお金で、オヤジと一緒に飲みに行きたい
私が社会人になり、自分で給料を持ち帰るようになってから
いつか自分のお金でオヤジと飲みに行こう、と思っていました。
オヤジも酒はそこまで好きではないタイプ。
私に至っては、47になってもビールのおいしさが分からない
おこちゃまおじさんです(笑)
でも、自分をここまで育ててくれたオヤジに
感謝の言葉を述べたい、そう思うようになりました。
私は大学受験でセンター試験(今は違う呼び方でしたよね?)に失敗し
国公立の志望校に届かないことがわかると
逃げるように関東の私大に行きました。
(※私大を悪く言っている訳ではありませんので、悪しからず)
しかし、オヤジは私が試験に失敗したことも
関東の大学に行くことも文句も言わず
私大の学費と、関東への下宿代や生活の為の
準備資金を出してくれました。
オヤジが俺にしてくれたことを
さらっと文字に書くと20文字くらいですが
今から三女が関東の私大に行くから
私に学費や生活費を出せ、と言われてもムリです。
家も買いましたし、ローンでいっぱいいっぱいです(笑)
自分がその立場になってから
初めてオヤジの偉大さが分かりました。
オヤジは近くの国立大学に行く!
とうそぶく私を信じていなかったのか(笑)
私大の学費や遠方への生活費を出せるように
しっかり資金面の準備をしていたのです。
それがどれだけすごい事で、なかなかできない事なのかは
自分が同じ父親の立場になってから、痛いほどよくわかります。
そんな今まで私に色々してくれたことを
アルコールの力を借りて
感謝の意を述べよう!と考えたのであります。
シラフで「今までありがとう!」ってオヤジに言うのは
流石に恥ずかしいですよね。
多分、シラフでそんな事言おうものなら
その後穴を掘ってブラジルまで逃亡してしまいそうです。
「自分で稼いだお金で父を居酒屋に招待する」
という表向きのもっともらしい親孝行を掲げつつ
その裏ではアルコールの勢いに任せて
オヤジに感謝の意をぶちまげちゃう、という
壮大な計画を立てていました。
オヤジは脳梗塞で徐々に身体が蝕まれ
オヤジは最初に脳梗塞で倒れてからは
ずっと脳梗塞との戦いに明け暮れる事になります。
最初は軽い下半身の不自由で
何とか歩ける状態だったのが
度重なる脳梗塞で、だんだん自由が利かなくなり
脳血管性認知症も発症し
徐々に自分の知っているオヤジでは無くなっていきました。
最初の脳梗塞を発症した時は
まだ自力歩行も可能で
実家に帰ってきたときは
オヤジは自宅でビールも飲んでいました。
ああ、まだ大丈夫だ。
今度誘おう。。。
そんなオヤジを飲みに誘う事への照れ臭さが
声をかけるのを後回しにしたことが
結局、今の後悔へとつながっています。
その時は脳梗塞を何回も発症するなんて
頭の中で考えられなかったし
父が悪くなっていく、という事を
「意識して」考えないようにしていたのかもしれません。
あっ。。。
と思ったときにはもうオヤジは
外にひとりで行ける状態でも
お酒を飲める状態でもなくなっていました。
私のクソみたいな自尊心が
大きな後悔を生み出す結果となってしまった訳です。
今際の際でようやく
父が亡くなる前の日。
2022年9月3日。
「かなり状態が悪いので来てほしい」
という妹の連絡を受け、急遽有休を使って実家に向かうと
苦しそうに全身で息をする父の姿がそこにはありました。
いわゆる「下顎呼吸」というやつで
これは嫁の父が亡くなる寸前も
このような全身で息をしている様子でした。
自分の中でもついに来るべき時が来たか
と、腹をくくる準備をしました。
その日は朝から夜まで実家にいましたが
オヤジは苦しそうに全身で息をしていたものの
まだ、意識はあるようでした。
オフクロや妹の呼びかけにも反応していましたし
私の声にも確実に反応していました。
もう今年に入ってからは認知症も進み
私が誰なのか、名前すら呼んでもらえない時もありました。
そのような状態から比べると、きつそうにはしていましたが
意識ははっきりあったと思います。
その日はいつそうなるかはわからないけど
今日はいったん家に戻ろう
という結論になり、俺はいつものように
「オヤジ、また来るよ」
とオヤジに声を掛けました。
これはいつも私が実家から帰るときにオヤジにかけていた声でした。
オヤジもまだ俺の事を認識している時は
手を挙げて「おう」とか「またな」とか
声をかけてくれていました。
私は最後までオヤジとは普通に接していたかったので
あくまで普通に声掛けをして帰ろうとしていました。
そこで奇跡が起きます。
何と、苦しそうに全身で息をしながらベッドに横たわっている父が
右手をゆっくり挙げたのです。
それは、いつも私が帰るときにオヤジが
すっと手を挙げてくれるのと同じしぐさでした。
私も、オフクロも、妹も全員大号泣でした。
あーだめだ、書いている今も涙が止まらない。
オヤジは最後までオヤジであろうとしてくれました。
いやオヤジでした。
そんな最後まで力を振り絞ってオヤジでいてくれた
オヤジに無我夢中で私は話しかけていました。
「オヤジ、生んでくれてありがとう!(生んだのは母親だが頭が混乱しているのでそう言った(笑))」
「オヤジ、(ペルテス病とかで)面倒だった俺をここまで育ててくれてありがとう!」
「俺はオヤジの息子で本当に幸せだった!」
「オヤジ、本当にありがとう!」
オヤジに俺の声は届いたのでしょうか?
きつそうに全身で息をしているオヤジが
俺の言葉に同意してうなずいていたのかは今でもわかりませんし
恐らく、永遠にわかりません。
しかし、オヤジの今際の際で
自分が言いたかったことを言えたことは
言えないよりはよかったかもしれませんが
それはあまりにも遅い感謝の言葉でした。
その24時間後、オヤジはこの世を去りました。
遺影には
エラソーな事をグダグダ書いていますが
私はオヤジの介護に殆どかかわっていません。
母や妹が殆ど面倒を見てくれていました。
自分でいうのも何なんですが、本当に酷い長男です。
しかし、私がわずかに貢献できたことがあったとすれば
それは「遺影のオヤジの写真」かもしれません。
オヤジが最初に脳梗塞を起こして退院したのち。
オヤジが元気なうちに温泉にでも行こうという事で
オヤジ・オフクロ・私・嫁・妹・長女・次女・三女の8人で
一泊二日の温泉旅行に行ったことがありました。
その旅行は本当にギリギリのタイミングで。
あれより後になっていたら行けなかったんじゃないか
と言うくらい、本当にギリギリのタイミングでした。
その時に撮ったオヤジとオフクロのツーショットが
遺影に採用されることになりました。
その時のオヤジの顔は本当に優しそうな顔をしていました。
まだ顔にはしっかり力もありました。
肉付きも自然で痩せておらず
本当の「オヤジ」でした。
そんなオヤジがオフクロの隣で
本当に優しそうな顔をしていました。
そんなオヤジの珍しい顔が撮れた
最後の家族旅行を計画できたことは
ほんの少しだけ、家族に貢献できた出来事なのかもしれません。
(次回へ続く)
すみません、最後にもう1話だけお付き合いください。
オヤジが私のブログに影響を与えたかもしれない話。
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