八郎だ(Twitter:@eightblog_hachi)
毎日の人も、久々の人も、初めての人も
ここへの訪問に深謝する。
前回までのあらすじ。
俺が大学3年生の冬の時。
企業の不祥事のニュースが流れていて
何気に眺めていたら
オヤジが記者会見で
頭を下げていてビビったよ、と言う話と
実家のマンションは欠陥マンションだったよ
今回もオヤジの話からの
俺の家族の話をさせてもらいたい。
なかなか家の話が出てこなくてすまんな。
それでは、今日も俺の新しい家の話を、始めるとしよう。
迫られる選択
俺のオヤジが執行役員クラスであった事を
会社の不祥事の記者会見で
頭を下げていたことで知る事になり
その後、俺やオヤジや実家の家族の運命は
大きく変わる事になる。
まず、結論から言うと、地元に就職することになる。
今、地元の食品メーカーに勤めている理由は
ズバリこれだ。大学卒業後は
親元に転がり込むことはしなかったが
実家に程よい距離でひとり暮らしを始めつつ
社会人をスタートさせた。
もし、オヤジの会社に不祥事が無かったとすれば
俺は東京か関東で就職し
この物語も生まれていないことになる。
今は俺の話は置いておいて。
問題はオヤジの進退問題だった。
不祥事の内容も、企業のイメージを著しく損なう
ダーティな内容であったため
社長以下経営陣は全員責任を取らされ
辞任することとなった。
当然、オヤジも含まれることになる。
オヤジの左遷先は、関連企業の常務のポストだった。
関連企業、と言っても本社からすれば
本当に業務内容も異なれば規模も異なる。
そこに勤めている方には本当に申し訳ないが
ドラマでよくあるような設定が
そのままあてがわれた感じだった。
問題はオヤジがそれを受け入れるかどうかだった。
オフクロもオヤジの好きなようにしていいよ
(会社)辞めたかったら辞めていいよ。
そう進言したという。
1週間オヤジが悩み抜いた結論は
「左遷を受け入れ、サラリーマン人生を続ける」
だった。やはりその背景には
俺の弟の存在もあったと思われる。
4つ下の俺の弟は。俺が就職活動を迎えるタイミングで
同時に大学受験を迎えた。
俺が放蕩息子で、関東の私大にひとり暮らしを
オヤジが許した以上
弟がもし仮に、それを望めば
「アニキはよくて、俺はダメなのかっ?(# ゚Д゚)」
と、これまたドラマによくありがちな設定だが
そうなるのをオヤジは恐れたのかもしれない。
兄にその道を用意した以上
弟にも同様にその道を用意しないといけない。。。
父は漢でもあったのだろう。
本当にオヤジの会社の不祥事の1軒以降
俺の実家はドラマみたいなことばかり起きた。
本当に「ドラマティックな展開」とは
この事を言うんだと思う。
そのドラマティックな展開を
もう少し、話をさせてほしい。
従業員の冷たい抵抗をひっくり返して、信頼を勝ち取る
そして、関連会社に左遷された
オヤジの第二の「いばらの道の」
サラリーマン人生が始まった。
関連企業の社員たちは、不祥事の責任を取らされた人間が
自分たちの会社に押し付けられたことに
相当の不満を持っていた。
また、正しく情報が伝わっておらず
オヤジが不祥事を主導者であるようにとらえている者も
中にはいたようだ。
そんなオヤジは常務と言うポストながらも
周囲からかなりの冷遇を受ける事になる。
中にはいじめや嫌がらせのような仕打ちもあったという。
しかしオヤジは腐らなかった。
時には下からみんなをおだてて
時にはリーダーシップを発揮しながら
徐々に社員の心をまとめていき
その関連企業の問題点の解決と
業績向上にまい進した。
時には海外経験を生かした英語力で
外国企業との商談をまとめたり
宅建の資格を活かした土地取引で
大きな利益を上げる事もあった。
最初はオヤジに冷たかった社員たちも
その仕事への敏腕ぶりと
ダーティなのは口くらいで
仕事に関しては真摯に取り組むことと
誰にも分け隔てなく同じように接する公平さ
(▲個人的にこれが出来る人は信頼を勝ち取れると思う)
に全員が目を覚まし、オヤジについていくようになった。
50代半ばごろには
左遷された企業の社長を打診されたというオヤジ。
しかし、オヤジはそれを丁重に断り
自分のポジションの業務を全うすることを選んだ、
60歳での退職を選び、第三の人生を歩むことに
オヤジは60までそこの会社を勤め上げ
退職することとなった。
会社からは猛烈な遺留があったという。
おりしも定年65歳という風潮が巻き起こり始めた時期で
本人が望めば65歳まで会社にいる事も
可能な時代になっていた。
しかし、オヤジはそれを断っていた。
なぜならオヤジには
新しい人生を考えていたからだ。
執行役員に上り詰めるまでの人生を
第一の人生。
左遷先の会社で10年勤めあげた事を
第二の人生、と言うのであれば。
退職後に「第三の人生」を思い描いていたのである。
それは「ユニオン」に勤める事であった。
俺は説明がヘタなので内容はコチラに譲るが
語弊を恐れずに言えば、労働組合が無い(企業別組合が無い)会社に
勤めている人たち労働契約に関する相談や
団体交渉の手伝いなどをする所である。
オヤジがそんな事に興味がある事に驚いてしまった。
更に驚くべきは、左遷した会社に勤めている間に
独学で「社会保険労務士」の資格に合格。
退職後の第三の人生の為の準備を
第二の人生の途中で着々と進めていたところに
オヤジのしたたかさと抜かりなさが見え隠れする。
しかも本業は本業でしっかり実績を上げながら、である。
60歳で退職しユニオンで働く。。。
この選択には家族一同、驚きしかなかった。
ちなみにユニオンで働いても、給料的なものは
ほぼボランティア同然の金額だった。
あのまま会社に60歳以降いても
年収1本は堅い待遇だったという。
それでも、オヤジはその会社を離れた。
オヤジはやりたい事がやりたかった。
だから独学で社会保険労務士も取った。
そんなオヤジに反対できる人なんていなかったし
誰も反対はしなかった。
俺たち家族の立場からしても
22歳から50歳までの28年間+10年間は
家族のために働いてくれたわけである。
それからの人生をどう生きるかは
オヤジに選ぶ権利がある。。。
俺たちはそう話し合い、ユニオンに行く
オヤジを快く送り出すことにした。
ハードモードを選んだツケが。。。
50歳で関連会社とは言え
全く違う仕事をする会社に行き
60歳で退職したかと思えば
返す刀でユニオンに勤め始め
企業別労働組合が無い労働者の味方になり
団体交渉の手伝いをするなど
オヤジの人生は多忙を極めた。
勤務中に独学で勉強し
社会保険労務士の資格も獲得した。
何にでも妥協をすることなく
これと決めたら全力で取り組むオヤジは
俺とは全く性格が違い過ぎる父だった。
あまりにも性格が違い過ぎるので
たまーにオヤジが
「橋の下で毛布にくるまっている赤ん坊を拾ったのがお前だ」
とかいう冗談とも本当ともとれるような冗談を
口が悪いので平気で言うので
初めて戸籍謄本を見るときは
結構ドキドキしたというのはここだけの話だ。
それこそドラマのように
「養子縁組」なんて書いてあったらどうしよう。
でも育ててくれた親でも、もちろん親だ!
とか先走った感情をもって戸籍謄本を見たら
普通に出生を書いてあったので
拍子抜けしたのはここだけの話にしてほしい(笑)
おっと、話が反れているので
オヤジの話に戻して。
そんな50歳からもハードモードを選択したオヤジに
病魔が忍び寄っていた。
オヤジ66歳の時。
ユニオンで勤務中に、突然ろれつが回らなくなり
ふらつき、そして意識混濁。。。
救急車で緊急搬送。
精密検査の結果「脳梗塞」と診断された。
オヤジ倒れるの連絡はオフクロ・弟・俺全員に入り
全員で病院に集結。
幸い、命に別状はなかったものの
右半身に軽い麻痺が残り
これからリハビリを行ってからの社会復帰
という先生の診断だった。
ベッドに寝ているオヤジは
やや喋り方こそ不自然ではあったが
「突然ろれつが回らなくなってよぉ~」
と笑いながら話をしていたので
病院に集まった俺たちも安堵した。
しかし、これが
これから始まる10年間の介護生活の始まりと
オヤジが更に襲い掛かってくる脳梗塞と
戦う事になる入り口であったことを
この時は、まだ誰も知らないのであった。
俺の新しい家の話、今日はここまで。
次回予告
俺には弟がいる。
どちらかと言えばオフクロに似た自由奔放な俺と
オヤジに似たのか、真面目な弟。
これは性格の遺伝なのか
果てまた運命のいたずらなのか。。。
家の話はいつでるの?
そう言わずにもう少しお付き合いいただきたい。
お前ら、家は「建てたい」と思ったときに建てておくんだな!
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